Your Realitys' A Fantasy.
【動画】バナナマン日村の始球式wwwwwwww
Bianchi Girl with a Moustache(via http://bikehugger.com/)の画像:twosicksEND
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schallplatten:

Bruce?
tbcl:

なんだかとっても攻めの姿勢。
the-sea-of-yokosima:

nanya-kono-jinsei

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neetria:

パナウェーブ研究所|+ HOT SHOTS +

ハロウィンの時、パナウェーブの人達がホームパーティに来ました。ビースティ風に撮りました。

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パナウェーブ研究所|+ HOT SHOTS +

ハロウィンの時、パナウェーブの人達がホームパーティに来ました。ビースティ風に撮りました。

monsterman:



Beneath the Planet of the Apes (1970)

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Beneath the Planet of the Apes (1970)

zenigata:

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タワレコの通販で買い物したら「NO MUSIC,NO LIFE」のステッカー付いてきたのでCDケースに貼ってみたら、なんて言うか全然音楽好きじゃない人みたいになった
君はたとえそれがどんなに小さなことでも
何かに凝ったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでも
アンティックの時計でも
どこかの安いバーボンのウィスキーでも
そうさ何かに凝らなくてはダメだ
狂ったように凝れば凝るほど
君は一人の人間として
幸せな道を歩いているだろう

君はある時何を観ても何をやっても
何事にも感激しなくなった自分に
気がつくだろう
そうさ君はムダに歳をとり過ぎたのさ
できる事なら一生
赤ん坊でいたかったと思うだろう
そうさすべてのものが珍しく
何を見ても何をやってもうれしいのさ
そんな風な赤ん坊を
君はうらやましく思うだろう
職場の近くでの出来事だ。

私の職場はお台場の一角で、いわゆる観光地に近しい。職場の向かいではフジテレビ本社ビルのなんか丸い物体がキラキラと光っており、近隣の駅では年二回漫画のお祭りが開かれる、そんな立地である。


私にとっては見慣れた風景を、喜んで写真に撮っている外国人の観光客らしき人がいた。

その光景を遠めに観て、「こんな景色何が珍しいのかねえ」と、やや蔑んだ口調で言った会社員の人がいた。


私の普段の心象は、正直に言えば後者に近しい。おそらくその会社員の人もそうだったのではないかと思うのだが、こういう時私の感情の主たるものは、恐らく優越感だと思う。自分が見慣れているものが、相手にとっては珍しいものである、という優越感。相手が貴重とみなしているものが、自分にとっては大したものではない、という優越感。

これは勝手な想像なのだが、「観光客に対する地元民の優越感」というものは、それ程珍しい感情ではないのではないか、と思う。例えば、かつて新宿区に住んでいた頃、新宿歌舞伎町の看板の写真を撮っている観光客を見かけた時、私はやっぱり似たような心象を抱いた。


だが。その時は、妙に損したような感じを抱いて、私は観光客の人が写真を撮っていた場所に近づいた。優越感を一旦忘れて、写真を撮っていたアングルを眺めやった。


なるほど、改めてみると確かに壮観だ。


慣れ、というものは人間の目を曇らせる。例えばWeb上でとても綺麗な夕焼けの写真を観て、綺麗だなーと感動していると、ふと気がつくと見慣れた絨毯が同じ色だったりする。綺麗なものは案外あたり一面に散らばっているが、慣れた目からするとそれに気付かないものなのだ。これは勿体無い話だと思う。

とすると、「見慣れた景色を写真に撮っている外国人」というのは、そういった「見慣れた綺麗なもの」の存在を私に教えてくれる絶好の機会なのではないか。慣れに任せて優越感に浸っていると、それに気付くことが出来ないのではないか。


優越感は、それが誰かを傷つけない限り、別段悪いものではないと思う。優越感を得る機会は、それはそれで貴重だ。

ただ、優越感とトレードオフで得られるものがあるのなら、時にはそれを選択することも悪くないことなのではないか。「慣れ」というフィルターを剥ぎ取ってみるのも、時には悪くないのではないか。

別段一般化する気はない。私にとってだけの話ではあるが、たまには、観光客と同じ気分になって、見慣れた風景を見直してみるのもいいかも知れない。

そんな風に思った。

今回の旅に履いていった古革の茶色いシューズ。

そろそろお役御免と、今回の旅をラストウォークにするつもりでした。
履き心地がよい靴で、勢い酷使してしまっていたのです。


カンボジア最後の日の昼。

これでこの靴も最後だなあと思いながらシェムリアップ・ダウンタウンの
バーストリートにある「ピザ・イタリアーナ」と言うお店で、
ピザが焼けるのを待っていました。

カンボジアでピザなんて、結構意外な感じですよね。


テラス席のようなところにいたのですが、
背後から子供の声が。

「サー、シューシャイン」と聞こえました。


直感で物乞いだと思い相手にしなかったのですが、
視線を感じて振り返ると、靴みがきの安っぽいブラシを手にした、
小学生位の男の子が立っています。


しばらく無視していましたが、じーっと立ち尽くす姿に根負けして、
まさかお金だけをあげる訳にもいかず、

「この靴じゃ、磨いてもしかたないんだけどな。

と思いながらもボロボロの靴を脱いで彼に渡しました。

男の子は無言で靴を私から奪い取り、
駆け出してどこかに持ちさりました。


その後、待てど暮らせど帰って来ません。
あまりに帰って来ないので、


「さては盗まれたか、でもまあ、古い靴だし。
 近くのマーケットでまた買えばいいか。

 でもそこまでは裸足?

 と言うよりあんな靴を盗む価値あるの?」


など思いを巡らせ、
さすがにこれは持ち去られたと諦めかけた時、
男の子が靴を持って帰って来ました。


その間20分。


私は少し呆れて、値段も聞かずにポケットに入れていた少額紙幣を2枚、
彼に渡しました。

サンキューとも言わないので、ちょっと渡したお金が少なかったかな?
とも思ったその時、ふと自分の足元を見ると、


そこには見違える程磨きあげられた私の茶色い靴が。


私は大袈裟ではなく鳥肌が立ちました。


す、すごい。


日本でもこんなに綺麗に心を込めて靴を磨いて貰ったことは、
ここしばらくありません。

靴に温かさと優しさが溢れていました。


私は彼にお詫びの気持ちを精一杯込めて、


「グッドジョブ! サンキュー」


とお礼を言い、1ドル札を改めて渡しました。


彼は褒めて貰ったことが嬉しかったようで、

はにかみながらニコッと笑って全速力でどこかへ行ってしまいました。

彼を疑った私の心の汚れ。

こんなところで安物のブラシを手に持つ子供の技術は、

どうせたいしたことはないだろうとの決め付け。


そして、彼を泥棒ではないかと疑った気持ち。

後でガイドさんに「あの子供たちはストリートチルドレンですか?」
と聞いたのですが、意外な答えが帰ってきました。


カンボジアの小学校は、
生徒が多くて教室が足りないため学校は二部制。

午前で授業が終わる子供は、昼から親を助ける為にいろいろ工夫して
仕事をしているとのこと。

ある子供は空き缶拾い、ある子供は靴みがき。

彼の家庭は裕福ではないでしょう。

自分の親を助けたい思いだけで、
一生懸命言葉の通じない外国人にセールスし、
大人の靴を磨いてなにがしかのお金を手にして親を助けていたのです。


戻ってくるのに時間が掛かったのは、
彼が手元に黒の靴墨しか持ち合わせていなかった為、
茶色い墨を自宅まで取りに戻っていたのと、ガイドさんいわく、
彼らは磨いた後、少し太陽に当てて墨を乾かしてから戻すのだと、

説明を受けました。

靴の仕上がりをみてガイドさんも嬉しそうです。


仕事をする上で大切にするべき事は何か、
仕事は誰の為にやるのか。

彼は自分の仕事を美しい形で残し、
私に「本当に大切なこと」を教えてくれました。


おくら入り予定だったこの靴は、私とカンボジアを繋ぐ宝になりました。

小室:今一番頼もしいのはNHKの「のど自慢」ですよ。あれは生バンドですよね。

−−え?!「のど自慢」を観てらっしゃるんですか?!

小室:いや、さすがに毎週欠かさずということではないですけどね(笑)。ふとしたときについていると見てしまうという感じですが、あれは素人さんのノリがあって真似ようとしているわけではなくて、好きな歌を好きなように唄う様を見ながらバンドの人たちが合わせていくのですごくグルーヴがあるんですよね。