「通(つう)」には3種類あるという話。「通る人(とおる人)」「通う人(かよう人)
あちこちの蕎麦屋をただひたすら回っているだけの人で、まだ自分の「舌」(価値判断の
たぶん何かのツイートをRTした人が1000人いれば、999人は「通る人」なのだろ
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特定の情報に興味を持ち、自分で関連する情報などを探し回って、知識を深めようとする
ただしその考えが正しいかどうかは別な問題。同じぐらい完成度を持ち、議論にも耐えら
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では「通じる人」とは…?多分その人は明確な答えを言わない人なのではなかろうか。そ
この反論にはこの反論という具合に、もうおよそ素人が思いつくような主張はすべて、ど
せいぜい他人が議論しているのを見て、断片的に知識を補う程度(その反論については、
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この域に到達している人というのは、多分日本全体でもそれぞれのジャンルに数名ぐらい
まあ俺を含めて、口から泡を飛ばして自分の意見こそ正しいと主張している人間は、まだ
(petapetaから)
主役がエグザイルのアキラっていうのも毒にも薬にもならない感じでいい。本名はアキラじゃないのに苗字が黒沢だというだけで「お前は黒沢だからアキラな」で名づけられた男。こういう適当な芸名の付け方が好きだ。ペニシリンの千聖が森高千里のファンだからってだけの理由とか、あるいはたけし軍団の命名における「お前は東でいいよ。そのまんま、東でいい」みたいな。そうか、エグザイルってHIROを中心としたたけし軍団だったのか。
— ex-スーパーリスナークラブ (via toronei)
(mcsgsymから)
moji:
寿波字
hsmt:
(via thresholdnote)
ザッカーバーグの話で面白かったのは、招待制のSNSがハーバード大学のクラブの仕組みそっくりだったことです。映画で描かれているザッカーバーグは、一般的な言葉で言うと「人間」を理解できているとは言えないのでしょうが、彼は身の回りの学生が招待制の社交クラブに入りたがったり、女性との出会いを求めたりする行動を観察しながら、それをコードに置き換えていったのだと思います。普通の人が主体的にやっている社会行動を、一歩引いた目で見ながら、システムに落とし込んでいく。そういう事に興味がある人間が「ウェブコミュニティ設計者」になれるのだと思いました。 — 世の中には「ウェブコミュニティ設計者」という職業がある - jkondoの日記
で、ここまで長々と書いて、ようやく冒頭の話にリンクするのだが、よくtwitterの良さを語る話を見ていて思うのだが、
「やれピザを頼んだだの、くだらない話を書いてる人もいるけど、そういう人は無視して、有益なことを書いている人だけフォローすれば良い」
みたいな話を見かけるのだが、これは大きな間違いだ。
それは冒頭で書いた、「情報を見るだけ」の人の論理だと思うが、それならtwitterなんてやらないで、まとめサイトや、最近出始めた情報のアグリーゲーションサイトだけを見れば十分だ。
何故かというと「有益な情報を発信している人が、くだらない話も書いている人も少なくない」からだ。
「くだらない話も書ける」ことにこそ価値がある。
人は何の理由もなく自分の知識をアウトプットするのは難しい。ホームページやblogに求められてもないことを書くのは、かなり難しいことで、鶏が先か卵か先かと言う意味でも、「あなたがわからないことを教えましょう」と、教えたい相手が目の前にいることは重要だ。
「情報を見るだけの人」は、このプロセスがネットに存在することに興味を持たない。与えられることに慣れすぎているからなのかは知らないが、適切な情報は、誰かが勝手に教えてくれるものだと思いこんでいるのだろうか。答えだけにしか興味を持たない。
いずれにせよ、プラモデルを組み立てようとせず完成品だけを求めるのが「情報を見るだけの人」だ。こういう人を増やすことがキャズムを超えるという意味だとしたら、ビジネスには有意義だが、インターネットの目指す道としては、それだけでは明るい未来があるものではない。iPhoneみたいにお金が動けばその限りではないかもしれないが。
— F’s Garage:【twitter話】ネットを使う人には2種類のタイプがある2009-08-14
(via 13py2, katoyuu) (via takojima) (via deli-hell-me)(deli-hell-meから)
(出典: vanityyyxbarbie、redbから)
(redbから)
(出典: ForGIFs.com、theemitterから)
ノマドワーカーも、会社という固定の場所から「は」自由になり、満員電車に乗る必要もないだろう。しかし、また違う「場所」に拘束されているのだ。それはどこか? インターネット(第八大陸)だろう。インターネット上で、固定の「場所」があり、そこで、いろんな人々から監視されているのだ。むしろ、昔よりも厄介なのは、いつでもどこでも、監視できるということだ。地理的、時間的自由を得たと思っていたとしても、また別の制約がうまれているのだ。だから、「ノマドワーカー」は、インターネットが会社化した、新種の奴隷労働を行っているのかもしれないという意識をもっておくぐらいは、必要だろう。 — いつまでも、ノマドと思うなよ! - 女。MGの日記。